Giovanni Fichera
Maestro Giovanni Fichera
このマエストロと出会ったのは今から約7年前。ナポリの友人に紹介してもらい、一人でたずねに行った。ナポリ中央駅前のバス乗り場に行き、マエストロが住んでいる町まで行くバスをさがすこと1時間。やっとのことで乗ったバス。でも、降りるところがわからない。「Casoria(町の名前)に行きたい」と運転手に言っても「Casoriaのどこじゃ?」。どうも南だ、北だ、2丁目だの5丁目だのとたくさん停留所があるらしい。住所を言っても運転手は邪魔臭そうにしている。近くにいたおばあさんが親切に教えてくれるが、訛っていて何を言っているのかわからない。分かったことと言えば、「めずらしいねえ、日本人がなんでこんなとこに??」たしかにここは非常に危なそうで、どこにでもいる中国人ですら全く見かけない。取りあえずバスを降り、住所だけを目当てにさがし歩き出した。みんなこっちを見ている。よほど珍しいのか、それともよほどかっこいいのか(後者を望む)、誰か後から付けてくるような気配も感じる。ここはナポリの田舎町。何が起こっても不思議ではない。早足でマエストロの住んでいる建物をさがす。忘れないうちにマエストロFicheraの経歴を紹介しておこう。1939年、ナポリからバスで40分程の中国人のいないCasoriaと言う田舎町に生まれた。Vittorio Bellarosaというナポリでは中堅バイオリン製作家に製作を習う。
あった!!
私は半泣きになりながら急いで家のベルをならし、後ろにいるヤバそうな人たちにメンチを切りながら建物の玄関をあけてくれるのを待った。
無事中に入り、エレベータで6階まであがると、そこにマエストロの家があった。恐る恐るベルをならそうとしたところ、突然ドアが開き、中からこわそうなおじさんが出てきた。一難去って又一難。このおじさん、声も恐い。ニコッともしない。なかには大きな犬もいる。
世の中には恐いことがいっぱいあるものだ、と、この時、身を持って体験した。
中に入る
「何しに来た!」とりあえず道場破りではないことを説明。
「何が見たい!」見たいもん決まってるやろ!と思いつつ、丁重に作品を見せていただきたい旨を伝えると、無言のまま奥の部屋に行ってしまった。
しばらくしてマエストロが自分の楽器を持って戻ってきた。見せていただく。すばらしい。一目惚れする作品であった。彼の先生、Bellarosaのスタイルを受け継いでいるすばらしいナポリタン。年代の違う作品も4、5台見せていただくが、正直言って中には出来の悪いものもあった。それでもどれも味わいのある作品達であった。それに引き換え、現在クレモナで作られている楽器たちはおもちゃのように見える。
丁重に礼を言い、家を出ようとすると下まで送ると言う。辺りはもう暗くなっていて非常に危ない。建物も下まで降りると、そこには美味しいピザ屋があるのでそこでピザ食って帰れ、と言われる。ピザ屋の入り口でお別れの挨拶をして、ピザを一枚頼んで座って待っていると、マエストロが戻ってきた。ピザ屋のおっさんとけっこう喋っている。無口だと思っていたがそうではないらしい。でもマエストロはピザは食べない。食べられないわけではなく、奥さんの料理を食べないといけないからだそうだ。この恐そうな人にも恐いものはあるのもだ!
食べ終わるころにはマエストロとも打ち解けあって3人で世間話をしていた。帰り際、お金を払おうとしたところ、マエストロが払ってくれ、最後に一言、
「次来る時は君の楽器を持ってこい」
さらに笑顔まで見せてくれ、バス停まで送ってくれた。